アリエル・ドルフマン (著), 飯島 みどり (翻訳)「あの医者よ。」海辺に立つ一軒家。シューベルトの四重奏曲から逃げ続ける女主人公パウリナが不意の客人の声に探りあてたものとは何だったのか。それぞれの過去を抱えた三人が息詰まる密室劇をおりなす。平和を装う恐怖、真実と責任追及、国家暴力の闇という人類の今日的アポリアを撃つ、チリ発・傑作戯曲の新訳。
長く続いた南米チリ軍事独裁政権が終焉を迎えたばかりの1990年。チリの劇作家アリエル・ドーフマンは、ひとつの戯曲と向き合い始めます。自身もピノチェト軍事政権に弾圧され、長く亡命生活を送ってきた彼が、その実際の過酷な経験と目にした数々の事実の中で生み出したのが本作「死と乙女」です。
過去の痛みを抱えた3人の男女が密室で繰り広げる心理サスペンスは、発表当時、背景となった「事実」の大きさからもセンセーショナルな注目を浴び、高く評価されました。それぞれの記憶や言動の何が真実なのか、もしくは虚偽なのか、または妄想なのか、まるで「藪の中」を探るようなサスペンスフルな劇展開は、時代や政治体制、国の違いを越えて、私たちを魅了してやみません。
独裁政権が崩壊し、民主政権に移行したばかりのある国では、反政府運動への旧政権の激しい弾圧や人権侵害の罪を暴く査問委員会が発足。 かつて反政府側で戦っていた弁護士ジェラルドは、新大統領から、その中心メンバーに指名されようとしていた。彼の妻ポーリーナもジェラルドと共に学生運動に身を投じていたが、治安警察に受けた過酷な拷問のトラウマに苛まれ、未だに心身共に苦しんでいた。
ある嵐の晩。岬の一軒家では、ポーリーナが家に近づく見知らぬ車の音に怯えながら、様子をうかがっていた。すると見知らぬ車からジェラルドが降りてくる。車の故障で立ち往生していたジェラルドは、偶然通りかかった医師ロベルトの車に助けられ、家まで送られてきたのだ。その後、家に招き入れられたロベルトの声を聞き、ポーリーナは凍りつき、やがて確信する。 この声、この笑い方、この匂い…。この医師こそ、監禁され目隠しをされたポーリーナを執拗に拷問し、美しいシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の旋律を流しながら、繰り返し凌辱した男だと…。かくしてポーリーナの激しい追及と復讐が始まった。
必死に潔白を訴えるロベルトと、妻の思い込みを疑い翻意させようとするジェラルド。それぞれの心の中にあるのは、狂気なのか真実なのか。
男と女を逆転させて、拷問の過程を再現する奇っ怪な対比が人権のベースの傾きのようなものを実感させる。「藪の中」の話である。最後は自白するようであるが、ポランスキーの自己正当化や懺悔の混沌か?