2020年9月20日、福島県双葉郡双葉町に東日本大震災・原子力災害伝承館が開館しました。 先日、だいぶ遅れて取った夏休みを利用して行ってみました。
朝日新聞が連日、批判的な記事を載せていましたので、大変興味を惹かれていました。昨年、東京電力が作った似たような記念館に行っておりましたので、同じようなものかと思っていました。 福島県双葉郡富岡町にある東京電力廃炉資料館は、事故当時の記録や、原発の構造、廃炉への手順などが科学的。客観的に提示されていました。今回の伝承館は、どちらかというと地元の人たちの震災体験を風化させまいとするそれまでの住民の生活や震災後の行動の記録が中心です。朝日新聞が今回の伝承館に何を期待したのかはわかりませんが、住民の思いの詰まった資料館として立派な建物になっていると思います。伝承館のすぐ脇には広大な中間貯蔵施設が隣接しており、このような伝承館事業や貯蔵施設が、地元の復興が安定してもたらされるきっかけになるものと思います。国や東京電力と関連せずとも自発的な復興が維持できることを祈念します。
今回は、昨年、朝日新聞で請戸川にサケが戻ってきて賑わってきたと報道されていましたので、この時期に訪問してみましたが、道の駅にはサケのサの字もありませんでした。店員さんも、サケは全く上がっていないとのことでした。どうも、自分が読み違えていただけだったのかもしれませんが、新聞記事(記憶違いかもしれませ)と現実・現場の乖離を感じました。
安部政権から菅政権への切り替わりの時期に、野党では、旧民主党政権が別れたりくっついたりを繰り返していました。今回、自民党政権に対する野党の連合政権として百何十人かの政党ができたようです。その代表に、非常に歯切れよく、よく通る良い声の枝野さんがなられたようですが、枝野さんといえば東日本大震災の際に「ただちに影響はないので心配ない」と連呼していたあの時のよく通る声が福島県民には今でも鮮明に耳に残っているのではないでしょうか。震災後の福島県内ではあのフレーズが延々と流されていましたが、他県ではどうだったのでしょうか? 福島県民を留めおくことが目的だったのでしょうか? あの声を聴くたびに震災の記憶がトラウマの様に蘇ってきます。「直ちに影響はないので逃げる必要はない」が、実はすでにメルトダウンが起きていたことを東京電力は数年後に明らかにしました。「直ちに影響はないが、長期間影響が続く」ことをお判りだったのでしょうか?いまでも県民健康調査が行われ、甲状腺検査も続いています。事故との関連には議論が続くでしょうし、エビデンスが出ることはないでしょうが、少なくとも健康被害の記録は増えています。不安を持った住民もおられますし、調査を継続して行っている多くの人々のマンパワーが投じられています。あのよく通る声を聴くたびに「直ちに影響はない」と言ってしまえる人なのだと思い出します。
先日、近くのブックオフで原発事故当時の福島原発事故タイムラインという資料集と国会事故調の報告書が置いてありましたので、求めてきました。 客観的な記録を紐解いてみると、自分たちの記憶がいろいろなところで、自分自身に都合よく並べ替えてしまっていることに気づきます。以下、2018年の衆院予算委員会での枝野さんの発言についての記載内容です(2018年4月の夕刊フジ)。11年3月11日に東日本大震災が発生した後、福島第1原発1号機と3号機が爆発したが、官房長官の枝野氏は記者会見などで「直ちに人体や健康に影響を及ぼすことはない」と繰り返し、危機をひた隠しにした。菅政権は震災発生の4日後に、4号機で水素爆発が起きるまで、自衛隊に本格的な原発対応を命じていなかった。当時、陸上幕僚長だった火箱芳文(ひばこ・よしふみ)氏は「菅政権は当初、原発事故について『何とかなる』と楽観的だった。1号機について枝野氏は『爆発的事象』といったが、実際は水素爆発だった。3号機の事故で自衛隊員4人が負傷し、現場は『言っていることと違うじゃないか!』と困惑した。菅政権は危機的状況を速やかに伝えず、国民を欺いたに等しい」と批判する。
当時、福島県の大人たちは国の指示にしたがって福島を離れずにいましたが、子供たちはケータイメールの情報で不安がっていました。双葉町の事故直後の状況を伝承館で知りましたが、この情報が子供たちのケータイメールで拡散していたとすると、子供たちの情報のほうが正しかったと思わされました。情報を持っていた人たちは子供たちを非難させていたと後に聞きました。東京電力は当時メルトスルーが起きたと報道し、メルトダウンとは言っていませんでしたが、今ではメルトスルーと称したことすら出てきません。
混乱の中で最善の決定・決断がなされたと思いますが、いずれにしても原発立地県はこのようなリスクを覚悟しておくべきであるということを考えさせる伝承館でした。