2025年10月2日木曜日

わたしが・棄てた・女

『わたしが・棄てた・女』(わたしが・すてた・おんな)は、遠藤周作の長編小説。1963年発表。ハンセン病と診断された森田ミツの一生を描き、その一途な愛と悲劇が主な内容となっている。遠藤の著した中間小説の中でも代表的な一作である。
1969年と1997年に映画制作されている。
1969年版タイトルは『私が棄てた女』。日活の製作・配給で浦山桐郎監督作品。監督の当初のイメージは、吉岡が小林旭、ミツは都はるみだったという。結局、ギャラの問題などもあり、河原崎長一郎と小林トシ江が演じた。原作者の遠藤が医者役でカメオ出演している。内容は吉岡の職場や家庭、心情がメインになっている。ミツのイメージは原作に近いと思ったが、ハンセン氏病については言葉も病状も描かれず、ミツは老人施設で働くことになっている。ミツの故郷が福島県原町であり、懐かしい相馬野馬追のシーンがある。
1997年版は『愛する』と改題され、1997年に日活の配給で公開されている。熊井啓監督作品。ミツを酒井美紀、吉岡を渡部篤郎が各々演じている。内容はほぼ原作に沿っているが、時代設定など現代風にアレンジされている。 ハンセン氏病の診断と療養所は原作通りに描かれている。熊井啓監督はこの小説の根幹の部分を描きたかったのだと思う。ミツのイメージは綺麗すぎであり、吉岡のイメージは悪すぎであった。
 
以下、ウィキペディアからの覚え  
大学生の吉岡努は、拾った芸能雑誌の文通欄に名前のあった森田ミツと知り合い、2度目のデートの際、裏通りの安旅館に連れ込み強引に体を奪う。しかし、やや小太りで田舎臭いミツに魅力を感じるどころか嫌悪感すら覚えた吉岡は、以後一切彼女に会うのを止める。それでも吉岡を一途に愛し続けるミツの手首には赤い痣があった。
大学を卒業した吉岡は、就職先の社長の姪である三浦マリ子と親しくなり、かつてマリ子とミツが同じ製薬工場で働いていたことを知る。さらに当時開業したばかりのトルコ風呂へ行くと、ここでもミツが働いていたとトルコ嬢から知らされる。気になった吉岡は、ある日ミツと再会するが、彼女はハンセン病の疑いから御殿場の療養所に入所しなければならないと涙ながらに語り、そんなミツに対し吉岡は御座なりな言葉をかけるだけで、逃げるようにその場を立ち去る。
始めは療養所に強い抵抗を抱いていたミツであったが、その環境にも次第に溶け込み、程なくして自身のハンセン病は誤診だと分かる。嬉々としながら御殿場駅で東京行きの汽車を待つミツだったが、そこで偶然にも三浦マリ子と再会する。近々結婚すると幸せそうに話すマリ子を見て、ミツは言い知れぬ孤独感に苛まれ、奉仕の日々を送る修道女たちを手伝うために自ら療養所へと戻ってしまう。
マリ子と結婚した吉岡は、ミツのことが気になり療養所宛に年賀状を送る。しばらく経った頃に一人の修道女から長い文面の返事が届き、年末にミツが交通事故で死亡したことを知る。その手紙には、ミツが死ぬ間際に遺した「さいなら、吉岡さん。」という言葉が記されており、吉岡は漠然とした寂しさに襲われ遣り切れない思いを抱くのであった。
この作品は吉岡努の視線から描いた「ぼくの手記」と森田ミツの視線から描いた「手首のあざ」の二つの視点で描かれている。

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