雑誌BRUTUSの過去の特集号を眺めています。
現在の日本人の興味・価値観の評価が、 「もの」や「道具」そして「価格」をものさしにすることでしか、できなくなっているように思います。
この雑誌には個人の思い出の詰まった「もの」がならべてあります。思い出を知らない他人からはただのガラクタばかりですが、さすがにそう思わせないような「一流の価格」や「優越的な蘊蓄を語れる」ものが選ばれています。「今となっては使うチャンスがありませんが、捨てられないものカタログ」 といった内容です。個人の思い入れのつまった「アルバム」ですので、読者が「カタログ」として参照するには役に立たないかもしれません。
「僕は一流の歯車となって仕事がしたい。」というコピーは、全体のシステムはおんぼろでも「自分だけは一流の歯車でありたい」 ということでしょう。他人から評価されなくとも、自分だけは襟を正して「ものを揃えて」いますということでしょうか。
「もの」が溢れてしまって、もはやカタログ雑誌も テーマを設定しがたい時代になっているようです。
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