8月の天気の良かった土曜日に東京電力エネルギーセンターを見学した。
富岡町から大熊町大野町富岡町役場近傍の廃炉研究センターをナビの目標に設定。
朝9時半に福島市を出発。霊山から東北中央自動車道を通って相馬から南下して、南相馬を経由し富岡町へ向かった。途中は快晴、日差しがぎらつく1日だった。常磐道のパーキングエリアに立ち寄り、富岡町でインターを降り目標へ向かう。廃炉研究センターに11時半ごろに到着。隣接する双葉医療センターにはドクターヘリがヘリポートに設置されている。
土曜日の午前中ではあるがほとんど人気がない。双葉医療センターもほとんど人気がなく、日曜日の午前中のような印象。
廃炉研究センターのナビ設定が誤っていることに気づき、インターネットで廃炉資料館を検索しなおして、およそ10キロメートルほど離れた双葉警察署・消防署などに隣接した東京電力エネルギーセンターに到着。
資料館には、ちらほらと見学客があった。入館時に居住地を記入。1階フロアと2階フロアがある。1階フロアが廃炉廃炉など現在の対策・未来の対策・将来の対策について。2階フロアは東日本大震災から被災後の現場の対応を詳細に呈示。
被災した原子力発電所の被害状況は、最初に前面に広がるスクリーンと床一面にスクリーンになるプレゼン。前方スクリーンには原子力発電所の全景あるいは様々な被災イメージ、足元には日本地図や福島県地図あるいは原子力発電所の地図など情報から俯瞰したマップイメージが写し出される。およそ10分間の映像で311の時に起きた全電源喪失事故がどのように起きていったかを多面的に解説する。このような状況が起きていたことが、平易に理解できるように明らかにされることにおよそ10年近くを要した。
炉心溶融により原子炉格納器内に流れ落ちた様子が語られるが、放射性物質が容器外あるいは施設外に漏れていることについては言及しない。施設内では当時の新聞記事や様々なメディア情報などが閲覧可能となっている。1部の新聞記事は白く消されているものなどがあった。コピーはできないが写真を撮ることがオッケーとされているので、おそらく公的な記録はオープンにされているものと思われる。
帰還困難区域を通過して6号国道を北上し、相馬市まで戻る。帰還困難区域内は乗用車での走行は許可されているが二輪車や歩行者は入っていけない区域となっており、境界には警備員あるいは警察関係者あるいは行政関係者と思われる監視員がいる。6号国道を通過していると人気がなく朽ち果てたままになった飲食店やシャッターが降りたままさびついた店舗等が連なっており、区域の前後の道路の雰囲気とは全く異なっている。途中の横道にはバリケードが組まれており、横道には入れない。第一原発が遠くに見える付近での放射線値は2.5マイクロシーベルトパーアワーと表示されている。前後が0.6から1.5程度であるので相対値として2倍から数倍高いということになる。
帰還困難区域~周辺区域のインフラの整備はいまだ不十分とは思われるが、実際に通過してみて、交通の不自由さが印象として残った。帰還が増えない問題が指摘されているが道路を通過していると景色は周辺のごく普通の福島の郊外の風景であり、道路通過が可能でさえあれば、その区域内のインフラが再整備過程であってもある程度の生活には支障ないと思われる。ただし交通網を整備し、容易に移動できる環境が必要である。
水の流れがやがて川の流れとなるように、現実の生活で最も重要なのは移動手段ではないかと思われる。道が通って、人々の通過が習慣的に行えるようになれば流れは徐々に太くなっていくのではないかと思われる。
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