かつて天声人語は教養の奥深さを感じさせてくれるあこがれの文章でした。深い造詣をベースに、吟味された言葉とレトリックで、端的に纏められたエッセイでした。試験や国語教材にも使われていました。
昔は情報は活字から得る以外はありませんでした。古典や専門書を読んでおくことが前提で文章を書くという仕事が成り立っていたと思います。それが教養であったと思います。
最近の天声人語はTV番組や映画がネタ元になっているのもが多く、新聞記者はもはや活字を情報の拠り所にしているわけではないと感じます。活字離れの世代が天声人語を書く年齢になってきているのでしょう。
映像に拠り所を求めるという行動は、新聞メディアの自己否定ではないでしょうか?
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