ジャーナリスト田原総一朗のドキュメンタリーノベルを原作にした1978年のATG映画『原子力戦争 Lost Love』を見ました。原田芳雄を主演に福島でロケを行い、福島原発でゲリラ撮影を敢行した場面も登場します。原発設置が盛んに推進されていた、1970年代の当時の原子力問題に挑もうとした映画です。原作の「原子力戦争」は、安全よりも巨大利権が優先される構造を追及したルポルタージュであり、現在の電力会社の体質や政府の姿勢が何も変わっていないことに驚かされます。震災後の現在との違いは、地元住民の反対する声が上げやすくなった点でしょうか。映画では当時の利権に群がる住民の姿が描かれます。
松本清張の社会派サスペンスドラマのようなストーリーでした。いわきロケ。福島原発の無許可撮影のシーンを織り交ぜて、当時の原発の利権と権力が映し出されています。原発誘致で発展した歓楽街と廃れた漁村のコントラストはリアルです。今では、その歓楽街が廃れてしまっています。ところで、松本清張は多くのタブーに挑戦しましたが、利権を求めて、これほどの人々が群がった原子力発電をテーマにしませんでした。
纏め切れていない粗削りな映画です。モデル女優のイメージビデオから原発施設のリアル撮影、そして原田芳雄と佐藤慶たちのシリアスドラマ、これらが混然と継ぎ合わされています。なかでも東京電力の施設ゲートでの撮影スタッフと警備員とのリアルなやり取りが異質です。原田が施設に人捜しに行くシーンですが、原田を止めるというより、撮影のカメラを静止しようとします。ズーズー弁の警備員が発電所の敷地内にカメラを向けさせまいと強く静止する姿がリアルでした。「法律で禁止されていますから・・・」と言う彼らは明らかに地元の住民です。原発立地により、警備の職を得て、その任務を遂行しているのでしょう。周りに何もないようなゲートで、なぜ撮影させないのか? 権力の驕りを強く感じさせるシーンです。しかも、その現場の対応は地元住民が行っているのです。
「メルトダウンなどという事故は起きない。それは一軒の火事が東京全体に燃え広がるようなものだ。」と原子力ムラの黒幕科学者が白々しく話します。かれらは運転手付きの高級車で涼しい顔で東京へ戻っていきます。
砂浜に打ち上げられた原田の死体の向こうに、原発が何基も聳え立っています。支配する者と群がる者たち、群がった者たちの中に形成されるヒエラルキーとそれを看過する公的権力、それらの層構造がじわーと伝わってきます。
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