イラン映画。カンヌ映画祭グランプリの作品。イランでは刑務所に入っていても休暇で自宅へ帰れるようである。訴えた側が取り下げれば収監中であっても放免されるようである。国による制度の違いがまず興味深い。
話は、休暇中の囚人が拾った金貨を届けたという、他愛のない話である。そのことが善か否か。日本昔話みたいな、つましい夫婦の話からスタートして、ほっこりした人情噺になるのかと思ったら、あれよあれよとばかりに不愉快な方向へ転調していく。
男の行為を美談として取り上げる刑務所と教会。その根底には、囚人は拾った金貨を届けるはずがないと考えている一般的思い込みがある。つまり、刑務所と教会目線では、悪人がおこなった普通の行為は善行になる。
男の行為を美談として取り上げる刑務所と教会。その根底には、囚人は拾った金貨を届けるはずがないと考えている一般的思い込みがある。つまり、刑務所と教会目線では、悪人がおこなった普通の行為は善行になる。
TV出演する際の男の得意げな表情もうまい。持ち上げられていい気になる男。わらしべ長者みたいな流れかと思いきや、しかし、社会も冷静になってみれば、善行でもなんでもないだろうという雰囲気になってくる。しかも、インタビューの際の、ちいさな、話の盛り上げ 盛った話が疑惑のきっかけになり、そもそもでっちあげだろうと、虚言者のレッテルを貼られる。
名誉とはなにか? SNSなどの話題で作り上げられる。ネガティブの者をポジティブ側に持ち上げ、さらにマイナス側に落とす振れ幅の大きさを社会は望む。
男の行為が真実であることを映画を見ている観客は知っているが、映画の中では何の証拠もなくなっている。証拠がない以上、男は英雄ではなく虚言者となってしまう。こんなことがなぜ生じたかというと、普通の行為を善行として持ち上げたからである。そして、男は死刑囚の減刑のために自分の得たチャリティを使うのだが、その行為も教会が声明を出して善行として扱う。
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