2024年12月18日水曜日

伝達の道具として正しく迅速に伝わる

村上龍の小説を読んでいて、道具としての言葉の重要性についての記述が何度か目に止まった。小説家が言葉を吟味するのは当然であろう。推敲を重ね熟慮して選ぶ言葉と、道具としてのスピード(伝達の道具として、正しく迅速に伝わること)が重視される言葉がある。
最近の言葉で気になったこと。「息を吸い切ってください。」。「なになにしきる仕切る」と言う言葉には対象物を空っぽにすると言う意味がある。例えば牛乳を飲み切ってくださいと言う事は牛乳瓶を空にすることである。しかし、最近若い人の言葉の使い方を見ていると、レントゲン写真を撮る際に「息を吸い切ってください」と言うと「目一杯吸ってください」と言う意味合いなのだが、「吸いきる」対象物が環境の中の空気と言うことになり、日本語の感覚として違和感を感じる。例えば先程の牛乳瓶の話だと、牛乳瓶を100本並べておいて飲み切ってくださいと言われれば100本飲めと言うことになる。満腹になるまで飲んでくださいと言う意味には取らないだろう。「〜きる」は空っぽにするという意味であり、満タンにするという意味ではないと思う。
最近の言葉で気になったこと。可能性と危険性との使い分けがなされていないようにも感じる。可能性と言う言葉は、結果がポジティブの場合に使われる言葉である。危険性と言うのはもちろんネガティブな場合である。「凍結した道路は転倒する可能性があるので気をつけてください」と言うよりも、「凍結した道路は転倒する危険性があるので気をつけてください」と言う。可能性を使うとそのことを期待していると言う意味合いが加わってしまう。危険性という言葉を使うと、そのことが起きてもらいたくないと言う意味が加わる。

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