2025年9月13日土曜日

メカゴジラの逆襲

『メカゴジラの逆襲』は、1975年(昭和50年)3月15日に公開された日本映画で、「ゴジラシリーズ」第15作目。監督は本多猪四郎。いわゆる「昭和ゴジラシリーズ」を終了させることになった、ワーストゴジラとして視聴しました。残念ながら、カメラアングルも高く、怪獣のスケール感・恐怖感がない、子供だましの怪獣プロレス終焉の頃の映画である。
ゴジラシリーズ観客動員数のワースト記録である97万人を記録したため、東宝は莫大な製作費を必要とするゴジラシリーズを一時休止させることを決定し、本作品を最後に1954年公開の第1作『ゴジラ』から21年間続いた「昭和ゴジラシリーズ」の制作を終了とした。また、1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)にかけて行った映画興行プログラム「東宝チャンピオンまつり」の最終作となった。「東宝チャンピオンまつり」は、春休み、夏休み、冬休みの時期にあわせて主に子供向け映画を数本まとめて劇場公開した興行プログラムである。当時のゴジラシリーズは作品ごとに子供向けのヒーロー路線をたどっていった。いわゆる怪獣プロレスとして、善悪チームを組んだタッグマッチ戦となっていた。特に本作品の「チタノザウルスに踏み潰されそうになる子供が、ゴジラに助けを求める」シーンがその極みである。その後、リバイバルの改訂版を除いてゴジラ映画の制作は行われなかった。『ゴジラの復活』が企画されるも難航し、紆余曲折を経て1984年に公開される『ゴジラ』まで、9年間の休止となった。
本作品でヒロイン真船 桂(まふね かつら)を演じたのが藍とも子。恐竜研究者 真船博士の娘。19歳。サイボーグ少女という設定であった。1974年特撮テレビドラマ『ウルトラマンレオ』にMACの松木晴子隊員役で出演中であった。本作品が1975年なので、1954年生まれの藍とも子の20歳ころの作品となる。ちなみに76年に峯岸徹と結婚、83年に離婚している。
真船 桂は恐龍コントロール装置の実験中の爆発事故で死亡するが、ブラックホール第3惑星人によりサイボーグとして蘇る。サイボーグの手術シーンでは特殊造形による彼女の乳房が映る。ゴジラシリーズで作り物とはいえ乳房を見せた初の女性という。特技監督の中野昭慶は、当時のスタッフは予算がないからといって寄りのカットで逃げるのではなく手を抜かずちゃんと作っていたと述べている。このシーンのみを取り上げてポルノ扱いされたことに対する憤りを語っている。
映画はスパイサスペンスのようなタッチに作られている。この映画はコントロール支配が重層に組み合わさっている。メカゴジラは操縦する人間によるコントロール下にある。もう一体の生体怪獣はコントロール装置を装着され、サイボーグ少女のコントロール下にある。そして、そのサイボーグ少女は真舟博士の娘、桂の肉体を改造して作られている。桂は第3惑星人のコントロール下にある。
サイボーグ少女の藍は笑わないことに最も気を遣ったほか、感情を込めないよう指導されたという。博士が桂を溺愛するさまは、鉄腕アトムの天馬博士のようだ。第3惑星人は桂を通して博士を取り込み、コントロールする。博士と桂の関係から派生する複数のコントロール関係は主体性なくコントロールされることの愚かさ強調している。サイボーグとして死んだ娘を蘇らせる父親、その娘にコントロールされる父親、ゴジラ作品として初めての乳房のシーンなどの母性の強調、父と娘の倒錯した愛情を想起させる関係は、もっと大人映画に発展できたのではないかと思う。(wikipwdia内容から引用加筆)

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