ファイル共有ソフトを作った東大の助手の裁判を扱った映画です。最後に本人が登場して、現実感がありますが、ストーリーはシンプルで、悪用されたからと言ってソフトウェアを作った者を裁けるか?というテーマなのですが、裁判のやり取りは騙されて書かされた自供書の無効を求めることに注力しており、ソフトウェアが争点にならず、ハラハラドキドキがありません。アメリカ映画のような地道な証拠や証言集めがありません。
道具を作った者が裁かれるか? もし、悪用されることを予測できたのであれば裁かれるのではないか? 科学者の倫理観の欠如と指摘されるのではないか?とも思います。特にオッペンハイマーの後、現在のAIについての規制状況では科学者の倫理的正当性や実装されたときに想定されることについては科学者の基盤資質として要求されるように思います。
映画で描かれた金子さんの著作権についての意識は希薄だと思いますし、自分の手を離れたソフトが誰かを傷つけているということに対する混乱もないようです。これを見ると、ここ数年でコンピュータソフトに関する倫理観や危険性の社会的意識が変わったと思いました。
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