2019年3月21日木曜日

奇想の系譜

東京都美術館で見てきました。朝日新聞の書評欄に井浦新氏が展覧会のもとになった書籍について記していた内容を読んで、とても納得できました。
自分たちが高校生ぐらいまでに美術で学んだ日本美術はとても退屈でした。西洋絵画のような様々な驚きが感じられませんでした。そもそも、美術というものを歴史としてつなげる意味があるのかと思います。artは、継代して同じものを作り続ける社会から望まれている工芸的なものはごく一部であって、通常は自分の中の感情をぶつけるもの・記録するもの・世に問うものであったはずです。わが国の美術史は非常におとなしい優等生的な流れを教えていますが、かつての美術史家が知りえていないとてつもない量の異端が存在していると思います。
奇をてらったものを作りたい気持ち、地域で行われている独自の手法、一瞬芸のような短期間でのイベント的な作品など、千差万別のはずです。それらから美術史家がわが国の美術史を編纂したと思いますが、拾い上げた偏りがあまり面白くありません。ちょっと考えただけでも、アイヌや琉球など美しい工芸品が脈々とあります。
奇想の系譜は江戸期の絵師を主に紹介していますが、自由で斬新な発想をぶつけた者は、地域を超え、時代を超え、ジャンルを超え、存在しているように思います。
流れから外れているので何でもできる。自分たちもまた、そのような思いのカケラを持っているように思います。忙しいほど、何か視点を変えた気づきがほしくなるという思いも合点しました。
奇想天外っていい言葉ではありませんか?

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