2019年3月3日日曜日

斎藤康雄さん瑞宝双光章受章祝賀会

斎藤康雄さん、瑞宝双光章受章、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
斎藤さんには平成28年から私どもの画像診断センターで若手技師を指導していただいております。職員一同、斎藤さんの受章を大変喜んでおりますので、大原病院ならびに画像診断センターを代表して、一言、お祝いの言葉を申し上げます。

斎藤さんに初めてお会いしましたのは、昭和57年、私が医師になって2年目の時です。当時、坪井病院で2年間の研修を受けておりました。
当時の斎藤さんの印象は 温厚・誠実・冷静 な技師さんだということが記憶に残っています。超音波検査を担当なさっており、私たちのような研修医よりも遥かに院内で信頼されておりました。超音波断層がまだ珍しかった時代でしたので、いろいろ教えていただきました。われわれの疑問に対して、ひとつひとつ丁寧に教えていただきました。わからないことはわからないとキチンとお答えになり、また、なぜそうなのか?と丁寧に教えて頂きました。わからないことを、わからないと言える斎藤さんの姿勢が、たいへん信頼できました。

その後は、なかなかお会いできる機会がありませんでしたが、県技師会の副会長をなさっていたころ、放射線関連の講演会などで、時々お会いしておりました。生涯教育ということで、いろいろな研究会・勉強会がありますが、ご専門じゃない研究会でもお会いすることがあり、何事にも手を抜かず、一生懸命やるという斎藤さんの姿勢に頭が下がる思いでおりました。

平成23年の東日本大震災においては、放射線技師として避難住民に対するスクリーニングを行い、また、福島県放射線技師会副会長として当時の鈴木憲二会長を支え、技師会が一丸となって未曽有の放射線災害に対して立ち向かってこられました。たいへんなご苦労があったものと思います。このことは、わが国が初めて経験した大規模な放射線災害に対して、地元の放射線技師会の組織力を、県民に、社会に、そして世界に示された出来事であったと思います。その後、急逝された鈴木憲二会長の代行を務められ、技師会の公益社団法人への移行を実現なされ、初代会長をお務めになられました。

そんな斎藤さんですので、3年前に私どもの大原病院に来ていただけることになったときは、たいへん嬉しかったです。ちょうど病院の新築移転を控えている時期でしたので、中堅の技師が退職し、若手技師が少ない人数で業務をこなしておりました。
斎藤さんに、仕事を手伝ってほしいとお願いしましたところ、「新しい装置は使えないし、何もできませんよ」とご謙遜なさっていましたが、幸い移転前で古い装置しかありませんからとお願いし、また若い技師たちに背中を見せてくれればいいからと、今にして思うとたいへん失礼なお願いをしました。
現在、大原綜合病院の1番撮影室を若手技師と二人で担当していただいておりますが、新しい装置を自由自在に使って、現場をバリバリこなしていただいております。
お人柄から、若者たちからも大変慕われております。お住いの二本松市から飲み会のためだけに出てこられることもあり、頭がさがります。斎藤さんの 何事にも手を抜かず、一生懸命やる というブレのない姿勢が若い技師たちのお手本として、錨のような存在になっていると感じております。
どうか今後とも、大原綜合病院 画像診断センターのために、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

それでは、斎藤さんのご健勝、ご家族のご繁栄を祈念し、大原綜合病院を代表して、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は誠におめでとうございました。


大原綜合病院 画像診断センター長 森谷浩史
20190224 郡山ビューホテルアネックス

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