数日前の日経新聞に紹介記事が出ており、たまたまBSで放送していたものを久しぶりに見た。もう10数回見ていることになる。
ストーリーは実に陳腐な復讐譚である。しかし、その単純なストーリーにセルジオレオーネのテクニックが満載されている。サムペキンパーへの対抗か、スローモーションの技法は持ちいず、あくまでもリアルタイムに時間が経過する。だからこそ最後の対決シーンの緊迫感が高まる。まさに居合である。これは椿三十郎のラストシーンだ。
主要登場人物は4名。それぞれにテーマ曲が割り当てられている。遠景ショットと近接ショットが目まぐるしく切り替わるが、エンニオモリコーネの音楽に合わせたカットの切り替えが小気味よい。
特に音楽が先行し、出るぞ出るぞ、どこかにいるぞ、と思わせる曲の使い方に完全に載せられる。重厚なオペラのライトモティーフのようでもある。特に最後の決闘シーンは映画史に残るテクニックの到達点であろう。二人のテーマ曲が重なり、共鳴し合うさまには、狼が仲間を呼び合っているかのようなもの悲しさが漂う。
西部開拓の末期の時代である。ワイルドバンチや砂漠の流れ者の時代。土地に永住するものとさらに流れていくものに分かれゆく時代。鉄道の普及により行き場がなくなっている不器用なガンマンたちの悲痛な死にざまが描かれる。
ライトモティーフ(独: Leitmotiv)とは、オペラや交響詩などの楽曲中において特定の人物や状況と結びつけて、繰り返し使われる短い主題や動機を指す。単純な繰り返しではなく、変奏・展開されることによって、登場人物の行為や感情などを端的に、あるいは象徴的に示唆するとともに、楽曲に音楽的な統一をもたらしている。
「ライトモティーフ」という用語は、1871年、ドイツの音楽学者フリートリヒ・ヴィルヘルム・イェーンスによるウェーバーのオペラ作品の研究において初めて使用された。1878年には、ドイツのハンス・フォン・ヴォールツォーゲンが、友人リヒャルト・ワーグナーの作品を分析した論文『ワーグナーの「神々の黄昏」における動機』の中で「ライトモティーフ」の表現を用いた。ワーグナー以降、多くの作曲家によってライトモティーフの手法は継承されていった。また、文学にも取り入れられ、トーマス・マンなどの作品に影響を与えたという。
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