東日本大地震の原発事故を新聞記者の視点から描いた作品。政府すら東電の隠ぺい体質に弄ばれたということが描かれている。東電にとっては、今までと同じような小さなアクシデントであり、社内でちょちょっと処理できるはずだったという雰囲気がリアルに描かれています。
映画では、何にも終わっていない、処理すべき廃棄物がどんどん増殖していくことが、はっきりと示されており、「何たらヒフティ」のヒーロー感が、いまさらながらに薄っぺらく感じる。「何たらヒフティ」は「早く終わりにしたい」「終わりにしたことにしてほしい」という思いの結集でしょう。そういう意味では加害者側の論理でしょう。「何たらヒフチィ」がアカデミー賞などをとったという事実が、わが国の多くの国民が「終わりにしたことにしてほしい」という側にいるということを明確に示したと思えるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿