2024年2月17日土曜日

テオレマ

アマプラに入っていたので金曜の夜に見ちゃいました。ブルーレイも持っているのにね。
震災に遭遇したり、そのニュースを聞いたり、いろいろな出来事が人に何らかの行動変容を起こさせる。被災地を手伝いたいという気持ちや危機に対する準備、あるいは価値観の変化や優先順位の見直しが起きる場合もある。
映画ではテレンス・スタンプ扮する若い男がブルジョア一家に予定された訪問に訪れる。彼の容貌は、絵画や過去の映画などで描かれているキリスト像である。彼の到着と滞在、そして予定されたように去っていく。
色彩のない映像からカラーに変わる。男と接することでブルジョア一家のそれぞれの人物が何らかの変容を呈する。女中は男を救いたいと思い、身を差し出すが、それを恥じて死のうとする。彼女は男と接することで喋れるようになる。痘瘡の子を癒やし、宙に浮遊する。やがて荒れ地に穴を掘り自らを埋め、目だけが外を見ている。やがて涙が泉となる。彼女の希望は植物のように世界の癒やし、環境になることに目覚めたようでもある。
エトナ火山の荒れ地と巨大工場。工場もまた人気がなく荒れ地と変わりがない。父親は工場を労働者階級に譲り、裸になって一人で荒れ地を彷徨う。世俗的な富から逃避したいようである。
母親はミラノの街で若い男を拾っては情事を繰り返す。裕福で上品な姿の中に押し殺した欲求があったのか、抑えきれず、情事を繰り返すが、満たされることはないようである。
息子はテクニックだけで前衛絵画もどきを書くことしかできなくなる。美術への情熱を失い、インスピレーションがなくなったようである。
娘は男の写真を抱きしめ、全身を硬直させ植物状態のようになってしまう。
音楽はエンニオ・モリコーネ。続・夕陽のガンマンのようなマカロニ・ウエスタン調です。町に流れ者が現れ、そして去っていく。西部劇のようである。

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