2021年3月25日木曜日

第24回 画像診断セミナーの開催にあたり

謹啓 時下 ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、この度、「第24回 画像診断セミナー」を開催する運びとなりました。
令和2年は新型コロナウイルス感染症の拡大予防の観点から開催を自粛しておりましたが、ニューノーマル方式を模索しつつ開催いたします。ご多忙の中とは存じますが、当会の趣旨にご賛同いただき、ご参加いただければ幸いでございます。
日時:令和3年3月24日(水)18:00~19:00
場所:マイクロソフトTeamsを用いたWeb開催 
 
オープニングリマーク および 進行 大原綜合病院 画像診断センター 森谷浩史 先生
≪ワークショップ 放射線の現場から伝えたいこと≫ 
 画像診断クイズ 大原綜合病院 千葉洋史 さん
 CT被曝の基礎知識 大原綜合病院 村松 駿 さん
 水晶体被曝について 大原綜合病院 橋本浩二 さん
 パワーポートの注意点 済生会福島総合病院 渡邉 暁 さん
 
CTのキソの基礎 宮城県立がんセンター 後藤光範 さん
≪特別講演≫ 大原綜合病院 森谷浩史 先生
『超高精細・造影CT ~どこまで見えるのか、どんな利点があるのか~』  
クロージングリマーク 大原綜合病院 安藤智則 技師長

皆さま お変わりございませんか?
コロナ禍と地震の中、仕事も生活も思ったようにできず、たいへんなご苦労をされていると思います。
最近、web開催の学会・研究会が多く、勉強できる機会が増えたことは喜ばしいのですが、どうしても受け身の参加のため、緊迫感がありません。さすがに、この状態で1年も経過すると、レクチャーされる内容が教科書的な画一的内容が多くなってきており、いささか食傷気味です。
そこで、気心の知れた顔の分かる方々が「顔を晒して足元の課題を相談できる」ミーティングを企画しました。
もともと、この会は東日本大震災の後に始めた勉強会です。今回、コロナ禍でも行えるように皆様のお知恵とお力をお借りして企画しました。
開催方法を試行錯誤しながら、今後も続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

2021年3月21日日曜日

ペパーミントキャンディ

ペパーミントキャンディ。ハッカ飴。なんとも切ない映画である。線路が印象深く映し出されるため、スタンドバイミーを連想したが、内容や雰囲気は帰らざる日々であった。帰らざる日々の2人の青年で進められるストーリーを40歳の男一人が逆行して語るストーリーである。ロベールアンリコのフクロウの河。実は20歳の時点の翌年に人生の角度が大きく変わるということがわかってくるのだが、個人の人生に時代の波が大きく影響することを雄弁に描いている。

2021年3月18日木曜日

新書本とTVの乱読・乱視聴

たまたま立ち寄ったブックオフで、新書本を10冊ほど購入しました。新聞の書評で面白そうなものを買ってきたり、ブックオフで目に止まったものを買ってきたりとさまざまです。同じ本を買ってくることもよくあります。わかっている場合とうっかりの場合があります。成毛真氏のように10冊同時に読むことはできませんが、数冊を途中で読みっぱなしにしておくことはよくあります。
最近、TVの見方も変わりました。ハードディスク録画やネット配信があるのでリアルタイムに時間を規定されることがなくなったせいです。一週間の番組表から興味のあるものを予約しておき、休日に倍速でまとめて見ます。たくさん予約してしまいますので、見る段になって、興味が失せている場合も多々あります。見なかったものは消してしまいます。NHKの番組などは、同じものを見ることもしょっちゅうです。
同じものに引き寄せられるのは、琴線に触れる何かがあるのだと思います。

2021年3月17日水曜日

■シンポジウム3 頭頸部 甲状腺癌 第40回 日本画像医学会 学術集会

第40回 日本画像医学会 学術集会 2021年3月11日
■シンポジウム3 頭頸部 甲状腺癌
司会 結束 寿(東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科)
   尾尻博也(東京慈恵会医科大学放射線医学)
1)甲状腺癌の外科的治療 結束 寿(東京慈恵会医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科)
2)甲状腺癌の核医学検査・核医学治療について 渡辺 憲(東京慈恵会医科大学放射線医学)
3)甲状腺癌の分子標的薬治療における画像診断の役割 齋藤尚子(順天堂大学放射線診断学)
超低リスク症例ではf/uを行うことが許容される。所属リンパ節郭清の概要。核医学診断の限界。分子標的薬剤の登場で劇的に変わった抗腫瘍効果などについて。

2021年3月16日火曜日

■シンポジウム6 中枢神経 臨床で知っておきたいパーキンソン病の最新知識:臨床、画像、病理

第40回 日本画像医学会 学術集会 2021年3月9日
■シンポジウム6 中枢神経 臨床で知っておきたいパーキンソン病の最新知識:臨床、画像、病理
司会 掛田伸吾(弘前大学放射線診断学) 豊島靖子(脳神経センター阿賀野病院)
1)パーキンソン病の最新知識:臨床 波田野 琢(順天堂大学神経学)
2)パーキンソン症候群におけるMRI 診断と最近の話題 掛田伸吾(弘前大学放射線診断学)
3)パーキンソン病の最新知識:病理 三木康生(弘前大学脳神経病理学)
まったくの門外漢ですので、大変新鮮な内容でした。一つの研究テーマに対してさまざまなアプローチがあることを具体的に教えていただきました。普遍的なエッセンスを含むシンポジウムでした。

2021年3月15日月曜日

放射性物質ゼロを望む意識

■不安増大、見失われた検査目的
当時、厚生労働省の課長として食品検査にあたった加地祥文氏へのインタビュー記事:朝日新聞2021/03/13夕刊。
2011年3月の東京電力福島第一原発事故当時は、国産食品の放射性物質の基準はありませんでした。作るには食品安全委員会の承認が必要ですが手続きに時間がかかり、放射性物質を含む農産物が野放しになる可能性があります。やむなく独自に暫定基準を作り、検査を始めました。目的は食品が安全かどうかをチェックすることです。基準を厳しくしすぎれば食べるものがなくなるし、かといって人体への影響を軽視するわけにもいかない。その妥協点を探ったうえで、科学的に十分な安全性を確保しています。「国はなんで全品検査しないんだ」という声がありました。「検査をしていないものは危険」という意識です。放射性物質ゼロを望むまでエスカレートしていきました。
科学的データが不十分な状況で、基準値を決めなければならない状況に追い詰められていたのですね。 国全体が放射線に対してパニックになっていた時期です。様々な場面で同じような決断が迫られていたのだと思います。

2021年3月14日日曜日

『Fukushima 50』(フクシマフィフティ):事件は現場で起きているんだよ、まだ

2020年3月6日公開の日本映画。
綺麗にまとめて終わらせた自覚のないおバカ映画の典型である。事故原発内での戦いを後世に伝えると表明する主人公。本気なのか、笑いを取ろうとしているのかと見る側に困惑させるようなお気楽な終わり方であった。
あなたの役割は「伝えること」ではなく、内部に籍をおきながら戦い続けることだろう。日本中の原発の安全性を検証してマニュアルを作り直せ。感傷に自己満足して現場から逃げるんじゃねえぞ。あなたたちがまだ戦える現場はあるはずだ。Fukushima 50(フクシマフィフティ)の方々はみんながこんな感傷に浸って、「根拠のない終息」感で安堵しているのでしょうか? 一人ぐらい内部で腐った組織を改革するぞと、意気込みを見せている姿を描いてほしかった。
震災10年目のETV特集などを毎晩放送している中で、TV放送で見たせいもあるのだろう。夥しいリアルと、きれいなバカバカしい結論でまとめた作り物とでは比べ物にならない。この時期に放送したことが失敗だった。TV局も被災者の意識までは想像が及ばなかったのだろう。神妙そうに被害者の皮を被せたふりをした商業映画である。毒にも薬にもならず、時間や感情を無駄にさせる。
体裁は原発版の「踊る大捜査線」である。青島刑事やいかりや長介刑事のような現場のたたき上げ職員が活躍する。戦車に竹槍で戦いを挑むような、特攻隊スピリットで盛り上げるが、当然、最終的には負け戦になる。パニック娯楽映画として定型的な作り方なので、これはこれでいいのだが、しかし、青島たちなら、最後に自分は伝承役になるとは言わないだろう。現場は今も進行形であることがわかっているのだ。
パニック映画ならシンゴジラのように、刑事ドラマなら踊る大捜査線のように、辛辣風刺映画なら日本以外全部沈没みたいに、いくらでも向き合い方があったと思う。東京のど真ん中に本当に死んでいるのかわからぬままコンクリートで固めてしまったゴジラのモニュメントが聳え立つシンボリックなラストの辛辣さはどうだ。残念である。本店や官邸の人たちは仮名で登場するが、どうせ本名を使わないのならば特殊メイクで実在の人物そっくりに再現すればよかったのにと思う。幹部たちを、いわゆる現場を知らない上司という定型的集団に描いた安直さも残念である。誰もがその場所で身の危険に恐怖し、日本の将来を案じていただろう。かみ合わない意見や遅々として進まない状況もあっただろう。しかし、どこにも悪人などいなかったはずだ。なぜ、そこを描かないのか?
むしろ、同じ内容でNHKで事故後に作られた再現ドラマ NHKスペシャル 原発メルトダウン 危機の88時間 のスピード感と誠実さの方が際立っていた。そう、この映画には真摯さ、誠実さがなく、あざとさが前面に出ているのだ。
俺たちは自然を甘く見ていたと言うのが結論のようだ。俺たちとは誰のことなのか? 甘く見ていた責任を誰が負うのか? 責任の所在を決して明確にしない腰砕けのラストに唖然とさせられる。津波のシーンに重なるモノローグであるが、甘く見ていたのは津波ではなく、「核」であろう。もし、俺たちは「原子力」を甘く見ていたと言えば、この映画は全く違う意味を持ったろう。残念ながら「自然を甘く見ていた」では「まだ懲りないのか?」と思わせるだけである。
出演している役者たちの心意気はすばらしい。フクシマのために協力しているたくさんの有名役者や現場のスタッフには感謝したい。特に東電や行政側の出演者は嫌われ役をよくやっていると思う。こんなにいい役者やスタッフを使っているのに、もったいない。やっぱり、この映画も原発事故と同様に本店(経営本部や上)が悪かったのだろう。事故は慢心によって起きるのである。
「伝承する役割」は10年たった今、行政や東電のお約束のキャッチフレーズになっている。
定年したから伝承役になりますというのは、加害側の勝手な論理である。もう許してください、定年過ぎてまで関わるつもりはありませんという決意表明。しかも自然の偉大さが諸悪の根源だとまで言わせている。
10年間で原発周辺には汚染水のタンクがあふれ、近隣の中間貯蔵施設には広大な土地に黒い物体がびっしりと並べられている。これらの行き場のない廃棄物がどんどん膨れ上がっている状況を知っているなら、早々と伝承役になんかなってほしくなかった。原発を作った企業、認可した国、誘致した町と県、みんなに「知識のなさ・他人任せ」という責任の断片がある。国民のツケが現実に膨張し続けているのである。定年で辞めていく人たちに責任を求めることは時間的にも能力的にも不可能だろう。しかし、福島県の汚染の回復に関しては、何世代にもわたって国民全員が分担して負っていかなければならない失敗であったことは感じているべきだろう。事件は今も現場で起きているんだよ。「無知と慢心」ゆえに、癒すことのできないキズを日本の歴史の中に刻み込んでしまった、そのことこそ発信を続けるべきことだろう。
震災10年目のNHKスペシャルなどを見ている中で、じじい部隊など町民の地道な活動、NHKの10年間の定点映像などの少しづつではあるが確実に復興していくダイナミズムなど、言葉にしなくても伝わってくるものがたくさんある。人々の吐く息や風の音や静かな波や何気のない表情を映し出したリアルな映像の中で、この映画の「耐えられない能天気さ」が際立っている。TV放送で見たせいもあるのだろう。残念である。お金を払って映画館で見ていれば、それなりのパニック映画で終わったのではないかと思う。悩まずに見れる「フクシマ以外、全部原発」みたいなお気楽映画でも作ってくれないかなあ。