2021年3月14日日曜日

『Fukushima 50』(フクシマフィフティ):事件は現場で起きているんだよ、まだ

2020年3月6日公開の日本映画。
綺麗にまとめて終わらせた自覚のないおバカ映画の典型である。事故原発内での戦いを後世に伝えると表明する主人公。本気なのか、笑いを取ろうとしているのかと見る側に困惑させるようなお気楽な終わり方であった。
あなたの役割は「伝えること」ではなく、内部に籍をおきながら戦い続けることだろう。日本中の原発の安全性を検証してマニュアルを作り直せ。感傷に自己満足して現場から逃げるんじゃねえぞ。あなたたちがまだ戦える現場はあるはずだ。Fukushima 50(フクシマフィフティ)の方々はみんながこんな感傷に浸って、「根拠のない終息」感で安堵しているのでしょうか? 一人ぐらい内部で腐った組織を改革するぞと、意気込みを見せている姿を描いてほしかった。
震災10年目のETV特集などを毎晩放送している中で、TV放送で見たせいもあるのだろう。夥しいリアルと、きれいなバカバカしい結論でまとめた作り物とでは比べ物にならない。この時期に放送したことが失敗だった。TV局も被災者の意識までは想像が及ばなかったのだろう。神妙そうに被害者の皮を被せたふりをした商業映画である。毒にも薬にもならず、時間や感情を無駄にさせる。
体裁は原発版の「踊る大捜査線」である。青島刑事やいかりや長介刑事のような現場のたたき上げ職員が活躍する。戦車に竹槍で戦いを挑むような、特攻隊スピリットで盛り上げるが、当然、最終的には負け戦になる。パニック娯楽映画として定型的な作り方なので、これはこれでいいのだが、しかし、青島たちなら、最後に自分は伝承役になるとは言わないだろう。現場は今も進行形であることがわかっているのだ。
パニック映画ならシンゴジラのように、刑事ドラマなら踊る大捜査線のように、辛辣風刺映画なら日本以外全部沈没みたいに、いくらでも向き合い方があったと思う。東京のど真ん中に本当に死んでいるのかわからぬままコンクリートで固めてしまったゴジラのモニュメントが聳え立つシンボリックなラストの辛辣さはどうだ。残念である。本店や官邸の人たちは仮名で登場するが、どうせ本名を使わないのならば特殊メイクで実在の人物そっくりに再現すればよかったのにと思う。幹部たちを、いわゆる現場を知らない上司という定型的集団に描いた安直さも残念である。誰もがその場所で身の危険に恐怖し、日本の将来を案じていただろう。かみ合わない意見や遅々として進まない状況もあっただろう。しかし、どこにも悪人などいなかったはずだ。なぜ、そこを描かないのか?
むしろ、同じ内容でNHKで事故後に作られた再現ドラマ NHKスペシャル 原発メルトダウン 危機の88時間 のスピード感と誠実さの方が際立っていた。そう、この映画には真摯さ、誠実さがなく、あざとさが前面に出ているのだ。
俺たちは自然を甘く見ていたと言うのが結論のようだ。俺たちとは誰のことなのか? 甘く見ていた責任を誰が負うのか? 責任の所在を決して明確にしない腰砕けのラストに唖然とさせられる。津波のシーンに重なるモノローグであるが、甘く見ていたのは津波ではなく、「核」であろう。もし、俺たちは「原子力」を甘く見ていたと言えば、この映画は全く違う意味を持ったろう。残念ながら「自然を甘く見ていた」では「まだ懲りないのか?」と思わせるだけである。
出演している役者たちの心意気はすばらしい。フクシマのために協力しているたくさんの有名役者や現場のスタッフには感謝したい。特に東電や行政側の出演者は嫌われ役をよくやっていると思う。こんなにいい役者やスタッフを使っているのに、もったいない。やっぱり、この映画も原発事故と同様に本店(経営本部や上)が悪かったのだろう。事故は慢心によって起きるのである。
「伝承する役割」は10年たった今、行政や東電のお約束のキャッチフレーズになっている。
定年したから伝承役になりますというのは、加害側の勝手な論理である。もう許してください、定年過ぎてまで関わるつもりはありませんという決意表明。しかも自然の偉大さが諸悪の根源だとまで言わせている。
10年間で原発周辺には汚染水のタンクがあふれ、近隣の中間貯蔵施設には広大な土地に黒い物体がびっしりと並べられている。これらの行き場のない廃棄物がどんどん膨れ上がっている状況を知っているなら、早々と伝承役になんかなってほしくなかった。原発を作った企業、認可した国、誘致した町と県、みんなに「知識のなさ・他人任せ」という責任の断片がある。国民のツケが現実に膨張し続けているのである。定年で辞めていく人たちに責任を求めることは時間的にも能力的にも不可能だろう。しかし、福島県の汚染の回復に関しては、何世代にもわたって国民全員が分担して負っていかなければならない失敗であったことは感じているべきだろう。事件は今も現場で起きているんだよ。「無知と慢心」ゆえに、癒すことのできないキズを日本の歴史の中に刻み込んでしまった、そのことこそ発信を続けるべきことだろう。
震災10年目のNHKスペシャルなどを見ている中で、じじい部隊など町民の地道な活動、NHKの10年間の定点映像などの少しづつではあるが確実に復興していくダイナミズムなど、言葉にしなくても伝わってくるものがたくさんある。人々の吐く息や風の音や静かな波や何気のない表情を映し出したリアルな映像の中で、この映画の「耐えられない能天気さ」が際立っている。TV放送で見たせいもあるのだろう。残念である。お金を払って映画館で見ていれば、それなりのパニック映画で終わったのではないかと思う。悩まずに見れる「フクシマ以外、全部原発」みたいなお気楽映画でも作ってくれないかなあ。

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