女性蔑視発言ということで森元首相が袋叩きにあいました。世界的に注目された場面での不適切な発言、かつ、その後の態度の不適切さを追求されたものです。政治家の失言は珍しいことでなく、この世代の政治家がこのような話題で笑いを取りに行ったり、話のテーマを切り替える際の枕的に荒っぽいことを言ったりすることは、想定内の出来事だったと思います。今回は、森さんの責任ある立ち位置として発言内容が不適切で許しがたかったということだと思います。
当初、IOCがやや寛容な受け取り方をしていましたが、国内のメディアなどは総じて吊るし上げました。擁護者や弁護者は一人もいないのでしょうか? どんな事件でも、別の視点が報じられることが多いと思います。今回の、ひとりの老人を袋叩きにする日本の不寛容さに違和感を覚えました。
この発言に対する批判をさまざまな人たちが表明しています。中でも、聖火ランナーを辞退するという表明はたいへん重いと思います。オリンピックで聖火ランナーとして選ばれることは大変な名誉です。それを辞退するという行為は「個人の痛み」を伴う極めて重い意思表示だと思いました。マスコミ報道は「森さんの判断が注目されている」とか「組織員会の対応が問われている」とか、主語が不明の見出しを掲げ、自分たちの姿勢を示さないものが目につきます。「わが社は断固として糾弾する」といった表現はなかなかできないようでした。野党の女性議員に至っては白装束で自分たちの姿勢を表明したとのことです・・・。痛みを伴わない多くの吊るし上げ批判の中で、聖火ランナーたちの「痛みを伴う辞退」の潔さと重さは全くレベルの違う崇高な行動と感じました。
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